皆様、こんばんは。
姉妹店レストランヴィノテカサクラの荒井です。
先日、森店長がブルネッロ比較試飲会の様子をブログにてご紹介していました。
(記事はコチラ → ブルネッロ比較試飲ッ!!)
本日はそんなブルネッロの歴史について少しお話しようと思います。
ブルネッロはバローロやアマローネと並び、イタリアが誇る高級赤ワインの一つ。
しかし、そんなブルネッロの歴史は意外にも浅く、
本格的な生産が始まってからは、たった50年の歴史しかありません。
わずか50年間で世界的な人気を博したブルネッロ。
そのシンデレラストーリーとは、どのようなものだったのでしょうか。
ブルネッロはサンジョヴェーゼ グロッソと呼ばれるサンジョヴェーゼ種のクローンが100%使用されていますが、
遡る事およそ150年前。
キャンティに使われていたサンジョヴェーゼ種のクローンから、サンジョヴェーゼ グロッソ(別名ブルネッロ)という葡萄が生み出されました。
これを開発したのはクレメンティ サンティという人物。
後にブルネッロ ディ モンタルチーノを生み出す偉大な生産者、ビオンディ サンティ(Biondi Santi)の初代当主です。
このサンジョヴェーゼ グロッソは、元来のサンジョヴェーゼよりも皮が厚く、粒も大きいため、
グロッソ(太い)と呼ばれ、サンジョヴェーゼ種とは区別されることとなりました。
19世紀後半、3代目当主のフェルッチョ ビオンディ サンティは、
「サンジョヴェーゼ グロッソを使ってモンタルチーノの地で、100年後も飲めるワインを造りたい。」という想いから、
ブルネッロ ディ モンタルチーノを完成させます。
ビオンディ サンティの定めた製造規定は世界でも類稀に厳密で、
サンジョヴェーゼ グロッソの100%の使用と、合計5年間にも及ぶ長期熟成が規定されていました。
しかし、当時のモンタルチーノでは、早飲みのワインや白甘口ワイン(モスカデッロ ディ モンタルチーノ)が主流で、
長期熟成ワインへの挑戦を試みる生産者はいませんでした。
また、モンタルチーノはトスカーナでも貧しい村の一つであった為、
収穫後すぐに販売することのできないブルネッロの生産は、多くの農夫にとって現実的ではなかったようです。
こうしてビオンディ サンティの後に続く者は誰もおらず、
彼の夢は一度、儚く散ることとなります。
その後も不運は続き、
フィロキセラ(ブドウネアブラムシという葡萄の根に寄生する害虫)の流行や世界大戦によるワインビジネスの停滞など。
今日のようにブルネッロが世界の人々の賞賛を得るには、いくつもの試練がありました。
それでもビオンディ サンティは諦めることなく、
モンタルチーノにおける高品質なワインの重要性を訴え続けました。
1967年。
ついに少数の地元の農夫らにより、ブルネッロ協会が設立されるに至ったのです。
停滞状態であったビオンディ サンティの夢が大きく前進したことには、もう一つ重要な出来事がありました。
それこそが、先日森店長のブログにてピックアップされていた、バンフィ(Banfi)の存在です。
1870年代のバンフィ社のモンタルチーノ参入により、
ブルネッロ ディ モンタルチーノというワインは大きな転機を迎えます。
当時バンフィはアメリカでイタリアワインの輸入販売しており、
その主要商材であったランブルスコがアメリカで一大ブームを巻き起こしました。
バンフィの影響力や販売網は絶大で、ブルネッロの知名度は急上昇し、
アメリカを中心に世界的にその存在が周知され始めます。
こうしてブルネッロは次第にその品質が世界的に評価され、
今ではトスカーナ州最高峰のDOPに君臨することとなりました。
ブルネッロの歴史に大きな変革をもたらした、
ビオンディ サンティ(Biondi Santi)とバンフィ(Banfi)。
二つの生産者の頭文字を取って、「Due B(二つのB)」と呼ばれ、
偉大な生産者として今日に至るまで、ブルネッロを牽引し続けています。
随分と固い歴史のお話になってしまいましたが、
多様なワインの物語を知ることで、味や香りだけでないワインの魅力がきっと見つかるかと思います。
次回はキャンティ クラッシコ!
ではまた、チャオチャオ。